香りは、味と同じ化学感覚であり、共通する部分が多い官能特性である。香りは、味と違って匂いや臭いと表記されることも多い。紛らわしいが、食品分野では主に香りが用いられている。
香りを整理した国際規格や国内規格は存在しない。あるいは国際機関が公表したもの見当たらない。このためもあって、香り全体をまとめた一覧表は見当たらない。
ただし、分野毎には精力的に取り組まれていて、これらを通観すれば、多様な香りが挙がっている。香りがいちばん精力的に取り組まれているのは、香料や香水の分野である。丸山は、香りの表現を具象的な表現(94種)、総称的な表現(56種)、抽象的な表現(15種)に分類して、それぞれに用語を例示している1)。また、香水を対象として、女性用フレグランスの香調分類(88種)と男性用のそれ(76種)についての一覧表も紹介している。
堀内は、香りの表現方法として、一般的な用語と香料業界で用いる専門用語に大別し、後者を香質表現用語(25種)、調合香料用語(6種)に分類している2)。また、官能評価で用いる用語として、バイポーラースケールでの表記(40対)とモノポールスケールでの表記(29種)に分けて一覧表にしている。以上紹介した例では、挙げられた香語は単語ばかりで、香りや臭いが下に付く用語は見当たらない。
食品分野でも香りに関心が持たれている。「食品科学と栄養の百科事典」によれば、食品中には10,000種の揮発成分が含まれ、コーヒーや肉の調理品には1,000を越える香り物質が含まれているとしている3)。小林によれば、識別可能な香りは約5,000種類ある4)。
食品分野に限っても、香りを網羅した一覧表は見当たらない。食品毎に、フレーバーホイールあるいはアロマホイールが作成されている。フレーバーには味も含まれているが、フレーバーホイールでは香りが圧倒的に多く掲載されている。フレーバーホイールは、当該食品の香りの一覧表に近い。具体的にみると、宇都宮は清酒のフレーバーホイールを作成している5)。ここには、2層に分けて28種のにおいが挙げられている。ビール醸造組合は、ビールのフレーバーホイールを整理している6)。ここには、2層分けて31種のにおいを挙げている。東原らは、ワインのアロマホイールを紹介している7)。ここでは3層に分けて120種の香りを列挙している。多くは単語による表現である。ただし、清酒のフレーバーホイールには、香りや臭が下に付く用語が少なからず含まれている。
何故、香りでは全体の一覧表が作成されてこなかったのだろうか。その重要な理由は、香りの分類に嗅覚受容体など生理学の知見を反映させないためと考えられる。香りでも、アリストテレスによる7原臭の提案以来、多くの原臭・基本香が提案されてきた。しかしならが、現在ではその存在は否定されている。そのためであろう。嗅覚分野の専門家は、嗅覚受容体など生理学的知見を香りの分類に反映させる努力を放棄してしまった。
既に、香りの受容体は396種類程度であることがわかっている。そして、香りの認識が、これらの受容体で変換された嗅覚情報に由来することは疑いない。ここで大切なことは、味では原味でなく基本味として整理されたように、香りでも原臭とか基本香ではなくたとえば単位香が存在すると仮定する。そのうえで、単位香と香り物質の化学構造との関係に取り組めば、自ずから香りの一覧表を作成する途が拓けると信じられる。
全部の単位香を解明することは、困難かもしれない。しかし、そのことは一つも解明しない理由にはならない。また、単位香が396種類もあるとは限らない。基本味の一つである苦味には、受容体が25種類もある。
参考資料
1)丸山賢次:香りの分類, 香料の事典(荒井綜一ら編), 朝倉書店, 166-177, 2000.
2)堀内哲嗣郎:香りを創りデザインする, フレッシュジャーナル社, pp.27-39, 2010.
3)Benjamin Caballors et al: Encyclopedia of Food Sciences and Nutrition
(second eddition), Academic Press 2003
4)小林彰夫:匂いの科学, 香料の事典, 荒井綜一・小林彰夫ら(編), 朝倉書店, pp.3-14, 2000.
5)宇都宮仁:清酒の官能評価分析における香味に関する品質評価用語及び標準見本, 日本醸造協会誌, 101(10), 730-739, 2006.
6)ビール醸造組合国際技術委員会(分析委員会)(編):BCOJ官能評価法, (財)日本醸造協会, 2002.
7)東原和成・佐々木佳律子ら:ワインの香り. 虹有社, 付録, 2017.
8) 新村芳人:嗅覚受容体遺伝子ファミリー, 化学受容体の科学, 東原和成(編), 化学同人, pp.25-40, 2012.